アンドレ・ヴェイユ著「婚姻法則の諸型についての代数的研究」の解説 山崎 隆雄 クロード ・レヴ ィ=ストロースの著書『親族の基本構造』第十四章では 、ヴェイユの筆に よってムルンギン族の婚姻体系が説明されている。このノートではその数学的な内容を解説す る。初めの章では高等学校で学ぶ程度の数学( 集合と写像の概念)のみを用いてこの論説の目 標を説明し 、次の章で初等的な群論( 主に対称群)を利用してその目標を達成する。以下、引 用は上掲書の邦訳( 馬淵東一・田島節夫監訳、番町書房)によった。ヴェイユの原論文は全集 の一巻390ページにある。 (ヴェイユ予想を提出した論文と同じ年です。) 1 クラスモデルと婚姻モデル 多くの婚姻体系は次のようなモデルで説明できる。この社会にはいくつかのクラスがあり、各 個人はどれか一つのクラスに属している。あるクラスに属する男が結婚できる女のクラスはた だ一つ決まっていて、その夫婦から生まれた子が属するクラスもただ一つに決まっている。 この状況を定式化するには、次のデータを用意すればよい。まず、有限集合 C を固定して、 その元を クラス と呼ぶ。次に、二つの写像 w : C → C, c:C→C を導入する。その意味は、クラス C ∈ C に属する男はクラス w(C) の女とのみ結婚できて、そ の夫婦から生まれた子はクラス c(C) に属するということである。これらの組 (C, w, c) をクラ スモデル と呼ぶことにする。 ( 写像 w と c は全単射と仮定する。そうでないと、結婚できな かったり消滅するクラスが出るからである。) 例 1. 整数 n ≥ 2, a, b を固定する。クラスの集合を C = {0, 1, · · · , n − 1} とし 、写像 w, c を w(k) = k + a mod n, c(k) = k + b mod n で定める。 ( 数式 x mod n は x を n で割った余りを表す。)(a, b) = (1, 0) の場合、クラス k の男はクラス k + 1 mod n の女と結婚し 、その夫婦の子は父と同じ クラスに属する。これ は 父系社会 を表す。(a, b) = (1, 1) の場合は 母系社会 となる。また、レヴ ィ=ストロースは、 (a, b) = (1, 2) の場合を 一般交換体系 と呼んでいる( 329ページ ) 。 オーストラリアの社会でホルドと呼ばれる地縁集団をクラスにとれば 、クラスモデルによっ てホルド の間の婚姻のやりとりという観察しやすいことがらを自然に定式化することができる。 しかし 、多くの社会においては一つのホルドに属する男が二種類以上のホルドに属する女と結 婚することが観察される。そのため、C をホルド の集合とすると w が( 一価の)写像として定 義できなくなる。この困難を回避するには、C の定義を(ホルド と内部変数の組のように )変 更すればよい。実際、そのような試みが繰り返され 、アランダ族の婚姻体系を説明するクラス モデルなどは恐ろしく複雑な C の定義を有するに至った。 (その複雑さは、 「クラス」を表すの にセクション 、亜セクション 、半族といった語まで必要となることから想像されるであろう。) その結果、 「クラス」はホルド のような具体的な意味から遊離せざ るを得なくなった。その上、 そのような工夫をいくら練り上げてもムルンギン族の婚姻体系を説明するクラスモデルはうま く構成できなかった( ようである)。しかも、ムルンギン体系は同等の体系がオーストラリア 大陸の全体で現存しているたいへん重要な体系である。 事態がこのように進展した上は、 (ホルド との対応をいったん忘れて)むしろ婚姻に関わる 情報だけを抽象化した効率のよい定式化が望まれる。そのために、ヴェイユは婚姻型 という概 念を導入した。この婚姻型は次の性質を持つ。 (1) 各個人は( 男であれ女であれ )一つの定まった婚姻型を持つ。 (2) 同一の婚姻型を持った男女のみが結婚することができる。 (3) 各個人の婚姻型は、両親の婚姻型と自身の性のみで定まる。 ( 前条件により、両親の婚姻 型は父親と母親で共通であることに注意。) この条件を満たす婚姻法則を定式化するには、次の情報があればよい。有限集合 M を一つ固 定して、その元を婚姻型と呼ぶ。次に、二つの写像(やはり全単射であることを要請する) f : M → M, g:M→M を導入する。その意味は 、M ∈ M 型の婚姻から生まれた息子 は f (M ) の婚姻型を持ち、 M ∈ M 型の婚姻から生まれた娘 は g(M ) の婚姻型を持つということである。これらの組 (M, f, g) を婚姻モデル と呼ぶことにする。 クラスモデル (C, w, c) に対し 、M = C, f = c, g = w−1 ◦ c とおけば (M, f, g) は婚姻モデ ルとなる。逆に婚姻モデル (M, f, g) からクラスモデル (C, w, c) を復元することもできるが 、 そのようにしてできたクラスモデルがホルド のような観察できる集団に対応する保証はない。 例 2. 例 1 で挙げたクラスモデルに対応する婚姻モデルは次のようになる: M = {0, 1, · · · , n − 1}, f (k) = k + b mod n g(k) = k + b − a mod n. ヴェイユは婚姻モデルを用いてムルンギン体系を実に簡明に記述している。 (例 4 を参照。) さらに重要な点は、婚姻モデルが自然に対称群と結びつくことである。特に、母方交叉イトコ 婚が認められることを対称群の元の可換性として解釈していることは著しい。次の章ではこれ らについて、初等的な群論を用いて説明する。 2 対称群と婚姻モデル 以下、婚姻モデル (M, f, g) における婚姻型の数( 集合 M の元の個数)を n とする。写像 f と g は全単射だから、n 次対称群 Sn の元と見なすことができる。いくつかの定義を導入する。 定義 1. 婚姻モデル (M, f, g) が母方交叉イト コ婚を許す とは、 「すべての男が母の兄弟の娘と 結婚できる」ことをいう。この条件は我々の記号を用いると次のように表せる: すべての M ∈ M に対して f (g(M )) = g(f (M )). 換言すると、Sn の中で f と g が生成する群 < f, g > がアーベル群になるということである。 そのため、このような婚姻モデルを 可換 と呼ぶこともできる。さらに、< f, g > が巡回群の とき (M, f, g) を巡回的、 そうでないとき 非巡回的 という。一般に、二つの元で生成される アーベル群は、巡回群でなければ二つの巡回群の直和となることを注意しておく。 定義 2. 婚姻モデル (M, f, g) が既約 (もしくは還元不能)とは、Sn の部分群 < f, g > が集 合 M に推移的に作用することをいう。既約でない婚姻モデルを可約 (もしくは還元可能)と いう。可約な婚姻モデルは複数の既約な婚姻モデルを並列的に並べたもの( 直和)で記述され るため、一般の婚姻モデルの研究は既約な婚姻モデルの研究に帰着される。 例 2 の婚姻モデルは可換・巡回的であり、(n, a, b) の最大公約数が 1 ならば既約である。可 換・巡回的・既約な婚姻モデルはこれで尽きる。以下では可換・既約で非巡回的な婚姻モデル を考察する。そのようなものでは n = 4 が最小となり、次のように構成できる: 例 3. (これはカリエラ族の婚姻体系に他ならない。295ページ。)モデルは次の通り: M = {1, 2, 3, 4}, f = (12)(34), g = (13)(24). ( ここでは置換群の記号を用いた。)このとき < f, g >∼ = (Z/2Z)⊕2 で 、特に可換・非巡回 的。既約性も容易にわかる。クラスモデルを復元すると 、次のようになる:クラスの集合を C = M = {1, 2, 3, 4} として、許される婚姻とその子供の所属は次のように定める: 婚姻型 1 : クラス 1 の男とクラス 4 の女 · · · 生まれた子はクラス 2 婚姻型 2 : クラス 2 の男とクラス 3 の女 · · · 生まれた子はクラス 1 婚姻型 3 : クラス 3 の男とクラス 2 の女 · · · 生まれた子はクラス 4 婚姻型 4 : クラス 4 の男とクラス 1 の女 · · · 生まれた子はクラス 3 例 4. 最後にムルンギン族の婚姻体系(に、後で述べる「論理的仮説」を設けたもの)を説明 する。この婚姻モデルは可約であり、n = 8 の可換・既約・非巡回的な婚姻モデル二つの「直 和」となる。 婚姻型の集合を M = (Z/2Z)⊕4 とし 、その上の写像を f (a, b, c, d) = (a + 1, b + 1, a + c + d + 1, d + 1) g(a, b, c, d) = (a + 1, b, a + c + 1, d) と定める。次の計算をしておこう: f g(a, b, c, d) = gf (a, b, c, d) = (a, b + 1, c + d + 1, d + 1), g 2 (a, b, c, d) = (a, b, c + 1, d), f 2 = g 4 = 1. これらから < f, g >∼ = Z/2Z ⊕ Z/4Z と分かる。始めの式、すなわち可換性 f g = gf は母方 交叉イトコ婚の許可を意味していたことを思いだそう。一方で、すべての M ∈ M に対して f (f (M )) 6= g(g(M )) が成り立つ。これは 父方交叉イト コ婚の禁止、すなわちどの男も父の姉 妹の娘と結婚できないということを意味する。次に、 M0 = {(a, b, c, d) ∈ M | b = d}, M1 = {(a, b, c, d) ∈ M | b 6= d} とおく。定義から、i = 0, 1 に対して f (Mi ) ⊂ Mi , g(Mi ) ⊂ Mi が分かる。従って M は可約で ある。ただし 、(M0 , f |M0 , g|M0 ), (M1 , f |M1 , g|M1 ) は既約となる。 (これを見るには、 < f, g > の M への作用は固定化群が自明であることに注意し 、位数を比較すればよい。) 次に 、この婚姻体系をクラスモデルで説明しようとしたときに陥る困難を説明する。八つ のクラス A0 , A1 , B0 , B1 , C0 , C1 , D0 , D1 を導入する。産まれた子供のクラスは母親の属するクラ スのみで( 婚姻がどのようなものでも)次のように決まる: 母のクラス 子のクラス A0 C1 A1 C0 B0 D1 B1 D0 C0 A0 C1 A1 D0 B0 D1 B1 問題となるのは、婚姻に二つのタイプ I と II があることである。タイプ I の婚姻は Ai と Bi の間もしくは Ci と Di の間でなされ、タイプ II の婚姻は Ai と Bi+1 の間もしくは Ci と Di+1 の間でなされる。ここで i ∈ Z/2Z である。従って、クラスモデルを定義するのに必要な写像 w が一価の写像として決められない。 上に述べた「論理的仮説」とは、男は常に両親と反対のタイプの婚姻をして、女は常に両親 と同じタイプの婚姻をするという仮説である。レヴ ィ=ストロースは「原住民がこれらの二定 式( 婚姻のタイプのこと)を使用する状況については、遺憾ながら我々はいかなる手掛かりも 持ち合わせていない」と述べている( 322ページ ) 。 この仮説の下では 、夫のクラスと婚姻のタイプを決めれば 、妻のクラスは一意的に決ま る。夫のクラスが Ai , Bi , Ci , Di のとき、それぞれ (a, b, c) = (0, 0, i), (0, 1, i), (1, 0, i), (1, 1, i) ∈ (Z/2Z)⊕3 とおく。さらに、婚姻のタイプが I か II かによって d = 0 または 1 とおく。こう して定まる (a, b, c, d) ∈ M = (Z/2Z)⊕4 が 、対応する婚姻型である。